大善寺は江戸時代の初め、青海と言う修行者がこの地に小庵を構えたのが始まりと言われている。

その後、寛文12年(1672)念仏僧の西入法師が入り、大井川を渡り損ね溺死した人々を供養するために、自ら釈迦如来像を彫り阿弥陀如来像を得て安置したと言われる。

後に、三河国西尾円心寺に前住であった聖蓮単誉梅南上人を迎え寺は浄土宗となったと言われている。

しかし、寺名がなく廃寺同様になっていた。

そこで有度郡上原村(現清水区上原)の浄土宗京都知恩院末大善寺を移転再興した。

開山に現藤枝市西光寺住職を勧請したと言われる。

この寺には「大善寺の鐘楼」があり、明六つと暮れ六つの鐘の音は大井川の川越の始まりと終わりの合図とも言われている。

 

開山上人

然蓮社廊譽上人意仲良山大和尚

 

開基年次

寛永年間(1624~1643)に西入法師(寛文十二年(1672)没)

 

寺宝

大善寺縁起(元禄六年(1693))閻魔大王像・釈迦像

紀伊国屋文左衛門寄進の延命地蔵尊

島田市の民話の一つのモデルになった灯明(灯籠)の松